System 7で幕をあけた激動の1990年代

http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0710/25/news042.html

懐かしく、感慨深いものがありました。
この頃でした。
Mac使い。

Quadora840AVが確か28000円位でPowerPCアップグレード権をつけて売りに出されてからMacの日々が始まったんです。
PowerMac8100/80という当時最速のマシンを持ってんだという自己満足の心がありました。
QuickTimeでシネパックを使い動画作りました。
エンコが時間がかかるかかる。
でも、PCで動画が扱える事だけで感動でした。
230MBのHDDが載ってましたが、もちろん足りるわけがなく、別HDD必須。
グラボも必須。
メモリもなんMBだったっけ?
64MBで30000円位して、安いって2本平気で発注してました。

「System 7の後継OS「Copland」と、それに続いてリリース予定だった「Gershwin」だ。」
そうそう、当時Macの月刊誌が何冊かあって全部買ってました。
それにこういう新OSの記事が出る度わくわくしてました。

「結局、アップルは新興のBeとスティーブ・ジョブズ率いるNeXTを天秤にかけ、最終的にNeXTを買収することで決着をつけた」
うん。BeOSもありました。

「これに対してOpenDocが切り開こうとしていたのは文書中心のパラダイムだ。」
そうOpenDocも雑誌でよいしょしまくってましたね。
時代が変わるとか聞いてると、うわぁスゴイ事になるんだろなぁと思ってました。

「しかし、アップルがネクストを買収し、Mac OS X開発に乗り出した時点で、OpenDocの開発は打ち切りになってしまった。」
いつもなんだよね。
この頃のMacは期待高めていて、ずっこけが多かった。

「アップルという個性の強いメーカーが好きになれない人や、通信販売チャンネルなどの既存のチャンネルではリーチできない顧客層にアピールするために、アップルは互換機を出そうという決断をした。」
忘れちゃいけない互換機。
本家よりスペック的に魅力的なものがありました。
UmaxやPower Computing
そう!
日本のパイオニアも出したんだよね。

「しかし、その直前にアップルに復帰していたスティーブ・ジョブズがアップル社内での影響力を増していき、それを許さなかった。ジョブズは、この互換機事業がMacの市場シェア拡大には貢献しておらず、狭い市場を食い合っているだけで、価格競争でお互いを消耗させている、Macの生態系的によくないと判断し、互換機ビジネスの幕引きを計る。
ここで問題となったのが互換機メーカーと交わした契約書だ。アップルは互換機メーカーに対して、Mac OS 7.xを提供し続ける旨の契約を結んでいた。そこでジョブズは、このバージョン番号に着目し、元々Mac OS 7.7として開発していた新OSの名称をMac OS 8と名称変更し、契約を反故にした。」

これは初めて知りました。
互換機から撤退したのは知ってましたが、ジョブスはこんな汚い事やってたんですか・・・
互換機に参入したメーカーは踏んだり蹴ったりでしたね。
ここらへんMacは混乱しっぱなしでした。



っで、今絶好調のAppleなんですが、ここまでくるとは思っても見ませんでした。
それもPC以外の分野で凄くなるなんて。

先進的なGUIで、使ってるだけでハイソな気分にさせてくれたコンピュータでした。

Windowsとの訴訟もあったと思いますが、確かに最先端を当初から走ってたんですね。
汚い事も、素晴らしい事もごった煮のAppleでした。

そういえば8100/80も8600/250(だったかな?)も実家にありますね。
プレミアつかないかな(笑)